事業もチームも、社会と一緒に成長していきたい

我々はまだ小さな会社で、社会には小さなインパクトしか残せないかもしれない。
ただ、「ハートネーション 」という法人は、大きなインパクトを残すことを快感に思うことのできる法人では必ずしもなかったります。
我々の事業で、誰かの人生が劇的に変わったり、どこかの団体が一気に進化したり、チームのメンバーが幸せになっていくというミクロなこと。
それこそが大きなインパクトある事業規模やマクロな事業展開よりも実感のある、そして素敵なことだと今は思っています。
我々が考える考え方や想いを、紹介したいと思います。

株式会社ハートネーション 代表取締役
中俣 博之

事業への思い

ハートネーション 、という社名は
「ハート(みんなの誰かを想う気持ち)」
「ドネーション(寄付、誰かを助けたいという気持ち)」
「United Nations(国際連合)」
から作った造語です。

みんな、誰かの力になりたい!と思うし、
時に助けてほしいとも思う。
それが人間らしさだと思う。
それは何かの背景や原体験を超えて、「ハート」が動かされる時だと思う。
人間は1人じゃ生きていけない。
怪我をしたら病院に行くし、
お腹が減ったら、ご飯をスーパーで買ってる。
火事になったら消防車が動いてくれるし、
平和を維持するために、警察の人たちが頑張ってくれてる。
みんな1人で生きることは難しいから、みんなで支え合って社会は構成されている。

社会の構成の仕方として、今は資本主義という本当に効率のいいやり方が存在している。
課題解決をして、金銭を受け取る。
社会はそういう枠組みで動いている。
大きな課題解決を担う株式会社は、大きな利益を得て、さらに大きな課題解決に向かう。
一方で小さな課題解決のみを続けていると、売上が小さく、利益が減り、倒産する会社も現れる。
資本主義は、そんなエコシステムで動いている。
だから、人々が多額のお金を支払ってで解決したいものを、起業家たちは探し始め、
結果として産業全体は大きく発展をしてきた。
一方で、お金を誰かが払うことが難しい課題も世の中にはある。
税金という仕組みで、公務員の人たちがそれを担ってくれている。
街を綺麗にしたり、治安を維持してくれたり。
社会の課題は、資本主義のバランスで解決されるものと、
公的な仕組みで解決されるもののパターンがある。

課題の数だけ、起業家やリーダーは存在するのだと思う。ただ、この資本主義の中で解決されない「はざまの課題」は多く存在する。

例えば、児童養護施設。
子供たちの生活は様々な仕組みの中で保証されているかもしれない。
しかし例えば、「塾に行きたい!」という子がいたら、誰がコストを負担する?
「こんなことを学びたい!」という個性をカバーしてあげる仕組みは、細かければ細かいほど難しい。
きっと細分化された課題には、売上も立たないから、そこに会社はうまれない。
課題と認識されないから、ここにコミットする政治家も生まれない。
国家として、このような「はざまの課題」を解決するデザインはすごく難しい。
既存の枠組みを超えて挑戦するリーダーは、既存の仕組みからは生まれづらい。

かつての世界は、戦争や略奪といった「暴力」によって付加価値の移動を実現した。
今は「資本力」と「契約/規律」によって付加価値が移動している。
法治国家は、革命的に暴力を抑えることができたし、
お家柄や身分といった贖えない枠組みから、資本勝負という誰にでものし上がれるチャンスを作った。
しかし、資本力と規律が無い故に、付加価値が移動しない分野は多い。
その課題解決には、大きなデザインが求められる。
ハートネーションは、ハートの力で付加価値を移動させるチャレンジを試みたい。
ハートの力は、きっと大きな資本をも動かす。
物質的な付加価値移動ではなく、ハートによって資本が動き、
その資本の力で「はざまの課題」は1つ1つ解決に向かう。
そしてその結果として新しいハートが生まれ、その連鎖が起きる。
そして、それが仕組みとなって、資本より大きなパワーを持つかもしれない。

世界を見渡すと、国家で解決できない社会の課題を担ってるグローバルな組織は多い。
例えば「国連」。国連の仕事は以下の4つの点。

・全世界の平和を守ること
・国家間の友好関係を発展させること
・貧しい人々の飢えや病気、識字などの教育を通し、互いの権利と自由の尊重を促進するために共同で努力すること
・すべての国がこれらの目的を達成できるように助けるために中心的役割を果たすこと

すごく素敵な役割、そして主体的に拾うことが難しい課題だと感じる。
これを、日本という国でどう実現するか、をまず最初に掲げる挑戦にしたい。

・既存の国家の仕組みや、資本主義で解決できない課題にこそ目を向ける
・課題解決に向かうリーダーを全力で支援をする
・「誰かを助けたい」というハートを集める役割を果たす
・「助けてほしい」というハートを集める役割を果たす
みんなのハートで、社会は最高に幸せなものである、ということを感じられるようにしていきたい。

組織の考え方

組織というのは非常によくできた仕組みだと思う。
自分1人では実現できないことを、みんなで実現する。
「早く行きたければ1人で行け、遠くに行きたければみんなで行け」
まさにその通りだと思う。

それが実現できるチームの力を信じたいし、組織でいることの喜びをかみしめたいと思う。
一人で飲むお酒よりも、みんなと飲むお酒は格別。

でも、一方で組織やチームになった時の弊害も多く存在する。

誰かが頑張っている陰で、怠ける人がいる。
集団心理が働くと、自分勝手を許せない文化が生まれる。
統一の価値観が生まれるので、異文化を排除する。
赤信号もみんなで渡れば怖くないという意思決定のブレも生まれると思う。

常に人間は、主体的に生きたいと思う。
皆、自分が主人公の人生を生きたいし、
総理大臣がいても、社長がいても、常に自分の人生では自分の方が中心に地球は回る。
でも、みんな、自分の力で地球を回すのはすごく怖いし、不安。
一人でお金を稼ぐのは無理だし、ビジョンを掲げるのは難しいし、
安心安全と程遠い場所に自分を置くのは、すごく怖い。

自分の人生だから、本当は全員が好きなことや分野で起業するのがいい。
読書が好きな人は、好きな本を発信して販売して売り上げるECもいい。
筋トレが好きだから、筋トレ向けのご飯をひたすら発信するYoutuberにでもなれたらいい。
起きる時間、使うお金、自分らしくあれる文化。全部自分の好きなように決めたい。

でも、それは安心安全との天秤をかけた時に、いつも負けがち。
だからみんな、就職をするし、転職をすることを選ぶ。
自分で稼ぐより、稼いでいる組織に貢献をした方が安心。
自分でビジョンを掲げるより、誰かのビジョンを支えるほうが安全。
自分の生存保証を先に置かないと、不安で押しつぶされそうになる。
だから、自分で起業をするよりも、どこかに所属する。
そっちの方が「割に合う」意思決定だから。

だから、実は割に合う、という意識で就職や転職をしている。
本当は、自分の心の中にある働き方やビジョンがあるけど、それを表出させることはコストが高い。
だから、それに近いビジョンの会社で仕事をしていると思う。
お金、組織、事業、立地、文化、将来性。
色々総合的に判断して、自分のビジョンに一番近いところに所属をする。

でも人は皆、自分のビジョンにまっすぐ生きたいと思うし、まっすぐではないことに違和感を感じることが多々ある。
だから、転職っていうマーケットがあるし、フリーランスっていう選択肢があるし、起業っていう選択肢もある。
このビジョンと違っている時に、自動調整機能が働けばいいけど、限界がくると他に移動するっていう選択になる。

その限界の境目は、たいていは、「報酬」と「マネジメント」の相違なことが多い。

報酬は、最も面倒な概念。
お金とどう向き合うか、という話は複雑で、整理が難しい。
あればあるだけ嬉しい。
もらえるなら、限界まで欲しい。
ご飯のように
「お腹いっぱい食べられればいい」
「どんな値段のものでも、量を食べれば自動的に満たされる」
ものではない。
お金は、食べれば食べるだけお腹は逆に減っていき、
高価なものであればあるだけ、より高価なものへの欲求が増え、
満足度はより下がっていくのだと思う。

ご飯は、1人で食べるものと、みんなで食べるものは違う。
もし1人ご飯の時には、コンビニご飯でも全然いい。
チェーン店で食べる牛丼でも全く構わない。
1人ご飯の時に、3万円もする寿司屋に行こうなんて、さすがにあんまり思わない。
でも、大事な人と食べるご飯は、どこかそれでは満たされないし、失礼だと思う。
少し高価なところ、景色のいいところ、予約がとれないところ。
そんな修飾語があるだけで、そっちに行きたくなる。

お金は、相対的なもので、誰かといる空間や経済圏の時に、途端に権力を持ち始める。
常に、人間を相対的な空間に強制的に持っていくとてつもなく強い力を持っているのだと思う。

組織においても、相対的な作用と反作用ともっている。
給与や報酬の満足度は、時に絶対的な価値よりも相対的な価値を誘発する。

「前職と比べて安い」
「競合他社に比べて安い」
「同期に比べて安い」
「もっと自分を評価してくれる転職市場がある」

当然、世の中には何百万と会社があるのだから、「報酬面」だけを抜き出した時に、
より高い評価をしてくれる会社はゴマンとあるし、
自分よりもらっている人を見ると、どこか陰のエネルギーがでてくる。

社会は資本主義でできている。
資本主義の正体は複雑で見えづらいけど、
「お金がある人間は生きやすい」ことは自明とされ、その状態構造がいつの間にか
「お金がある人の方が正しい/偉い/必要とされる」
に翻訳をされている。
だから、給与の差はダイレクトにそのように解釈をされるし、
絶対的な評価ではなく、相対的な資本主義市場の評価に反映をされている。

組織にはリソースがある。
そのリソースの1つに、「金銭的報酬」がある。
もちろん、金銭的報酬以外にも

1人では創出することができない楽しみや思い出を創出してくれる「仲間」の価値。

1人では創出することができないドキドキやワクワクを感じさせてくれる「日常の仕事」の価値。

1人では創出することができない達成感を感じさせてくれる「事業」の価値。

いっぱい色んな価値を受け取っている。
その総合的な価値を、等しく同じ組織のメンバーで分かち合っている。


一方で。

この価値は、相対的な価値じゃないし、資本主義社会の中の価値ではない。
会社や組織から一旦外に出たら、一気に資本主義に戻される。
飲み屋の支払い、家賃、カードの支払い、持ってるブランドバックの値段。
さっきまで楽しかったのに、一気に資本主義に戻される感覚。
たとえ、同じ会社内の給与格差に納得がいったとしても、
資本主義との結節点を持ち続ける限り、逃れることはできない現状がある。
綺麗事を並べても、おにぎりは100円はするし、海外旅行は10万円以下では行けない。

その人が、じゃあいくらの価値があるのか。
この価値算定は、論理的に考えたら非常に難しい。
Aさんが、大企業で働くときと、メガベンチャーで働くときと、スタートアップで働くときとで、当然提示される給与は違う。
Aさんが持っているものと、会社が求めるもののバランスになるし、
それぞれの会社の現預金や、すでに社内でいる人との相対的なバランスで決定される。
つまり、Aさんを正当に評価した額ではなく、
Aさんを社内の人間たちと相対的な価値判断の世界にいれた場合の数字が算出される。
Aさんは、その中から最もバランスのいいところを選択するはずである。
多少給与が低くても、やりがいを選ぶのか。
やりがいは後からついてくるから、給与を選ぶのか。
または、両方を妥協せずに永遠と探したり、交渉したりするのか。

「自分のことを、自分以外の誰かが評価して金額が決まる」
ということがそもそも無理なのだと思う。
でも、それが1番説得コストの低いやり方だから、
そのシステムをとっているのだと思う。

ハートネーション は、自分の報酬は自分で決めるというやり方にする。
50万円毎月ほしければ50万円払おうと思うし、5万円なら5万円払う。
つまり、言い値システム。
これは、何も義務を放棄しているわけでもなく、
モラルハザードを誘発しようと思っているわけではない。
これが、理想のチームに向かう1st stepだと思っているから。

自分が人生の主役。それが基本方針。
だから、どこの会社でどの程度やろうか、というのは、その人の主体性に委ねる。
100%コミットの時期があってもいいし、5%の時期があってもいい。
今月は休んで、来月からちょっとやろうかな?みたいなことさえ自然に感じる。
だから、年収という、毎月定額っていう考え方ではないし、
他の人のパフォーマンスと比較して昇給降格という考え方もしない。
時期はキメで月次で、額はあなたの申告で(多すぎたら相談します笑)。

そのために、会社の財務状態は常に開示する。
何にいくら使う予定なのかも開示する。
その中で、「これくらいはもらってもいいかもな」というのを自己判断してもらう。
それが本人にとって問題なければ、一緒にやろうぜ!になるし、
ならなければもっと払ってもらえるタイミングで一緒にやろうね!になる。
今この刹那で一緒にいなくてはいけない!なんてことは1つもない。
給与や報酬は、公平性より納得性だという前提に立つ。

もらいすぎてる、と思ったら自分から下げコミュニケーションをする。
明らかにバランス悪い、と思ったら上げ相談がくる。
時間軸は1ヵ月単位で。ベストはデイリーで変更させるのがいいと思うけど、
時給以外で運用が回るイメージがないので一旦月次で。
このチームは、それでやってみたい。


役割や役職に関しても、相対的なものから離れていきたいと思ってる。

役割や役職は、自動的に人間関係定義を発動させる簡単な道具。
上下関係を構築させ、上が下を操ることができるもの。
逆に、下が上を評価できるものでも一方である。

上長はメンバーを評価する。
人事評価という物差しを使って、給与を決めたり、
重要なロールかそうでないかを判断したり、
時に解雇対象に選んだりと、強い権力を保持する。

メンバーも上長を評価する。
上司は常に、人間力豊かで、問題解決能力に溢れ、
信頼感のある人間であってほしいと思っている。
つまり、相互に「理想のメンバー」と「理想の上司」のロールプレイングゲームをプレイしている。
本当は、そんな人なんていないのに。

相対的なもので苦しめられているのは、何も金銭報酬だけじゃない。
上下左右の相対的な「役割やポジション」価値創出は、
時に機能的価値以上のものを発生させてしまう。

・意思決定をする
・情報を流通させる
・みんなをまとめる
・現場でオペレーションを回す

部長やマネージャなどの役職、PMやディレクターなどの役割が一般的にはあるし、
その存在に誰も疑問を持たない。
それらはロールが違うだけで、偉い偉くないって話じゃないのに、
いつもの間にか、偉い偉くないのロールプレイングをやってしまう。
効率や組織図を重視する組織は、そのコストより機能メリットをとるから、マネジメントを発生させる。
飲み会をやったり、1on1をやったり、報酬を上げたりしてそのコストを回収しようとする。
みんな、マネジメントゲームの中で主体性を発揮しようとするし、モチベーションをあげようとする。
でも、それにはやっぱり限界があると思う。

極論、社員という概念は不要だと思う。
全員が株式会社自分の社長。
縦も横もない。みんなと会社は対等。
敬語だって立場だって不要。時にくっついたり、離れたり。
それが自然だと思う。
社員になったり、企業に帰属することはきっと、住宅ローンや社会保険など。
企業に所属するメリットは資本主義社会の互助作用の範囲の中での信用メリットがメインだと思う。

ハートネーション は、社員ゼロの会社/チームが理想。
一緒にやるならみんな起業してもらって、プロジェクト単位で。
不安だったら、どこかの会社に所属してもらったってかまわない。
「本業」や「副業」なんて言葉自体がナンセンスだと思う。
自分の人生のワンシーンに、本も副もないのだと思う。

常に自分の人生の主役は自分。
そんなチームに、ハートネーションは挑戦する。
株式会社ハートネーション